INTERVIEW 18

静かな街に命を吹き込む
デザイナー

齋藤 貴志

  • 青梅で見つけた静寂と自由

    旧青梅街道に元弁当屋の空き物件があった。弁当屋はもちろん、飲食店が入ることもなく残されたままだった物件に息を吹き込んだのは、東京・表参道で働いていたデザイナーの齋藤貴志さん。重いシャッターを開け、店前をホウキではいて、愛しのエアプランツたちを表に出して風にあてることから1日が始まる。それはまるで、かつてあった弁当屋が覚えている日々のリズムのよう。表参道で働いていたデザイナーは、なぜ青梅にやって来たのだろう。

    東京都葛飾区で生まれ育った齋藤さんは、工場が多く立ち並ぶ地域で生活するなかで、自然豊かな環境への憧れを抱いていた。最初に選んだ新天地は日野市。日野の開放的な空気感に魅了され、「こういう場所に家を構えたい」と思うようになったが、日野や高尾周辺で物件を探すも難航。検索範囲を広げたところ、偶然見つけたのが青梅市の一軒家だった。

    「東京都に青梅市ってあったんだと思ったくらい、青梅についての知識がありませんでした」と振り返る。青梅駅が徒歩圏内にありながら近隣に家がなく、静けさとプライバシーを両立するその物件自体に惹かれた。さらに移住決定の裏には、2011年の東日本大震災の影響も大きかった。当時、表参道で被災した齋藤さんは都内の自宅まで帰れず、連絡手段も断たれる経験をしたことから、「いざというときに家族を守れる環境で暮らしたい」と考えるようになった。またこの経験を機に、デザイナーとして「もっと人の役に立つ仕事をしたい」という思いが芽生え、独立を決意。こうして自然豊かな環境での生活とデザインの仕事を両立させる新たな人生が始まった。

    空き店舗をオフィスに。新たな拠点づくりが始まる

    青梅市に移住した後、最初の2年間は表参道のデザイン会社に通勤し、独立後は自宅でデザイン業を営んでいた齋藤さん。転機が訪れたのは2019年、子どもの誕生をきっかけに仕事と生活空間を分けたいという思いから、新たなオフィスを開設することを決意した。

    「たまたまこの空き物件で開催されていたイベントを見かけたんです。元お弁当屋だと聞いて眺めていたら、デザインオフィスとしてリノベーションするアイデアが浮かびました。」路面店でのデザイン活動を望んでいた齋藤さんは、この物件なら社会とのつながりを意識しながらデザインができると確信し、すぐに行動を起こした。

    リノベーションでは、壁やタイルなど、古きよき要素を活かすことにこだわった。「弁当屋の古い看板に、あえてエイジング加工を施した屋号を取り付けて、個性的な改装ができたのはうれしいですね。」通りに面した全面ガラス張りのオフィスでは、街の人との交流が日常的に生まれ、知り合いだけでなく、近所の小学生が手を振って通ることもあるのだとか。また、空き物件の再利用の一例として注目を集め、旧青梅街道に新たな関心を呼び起こすきっかけとなった。

    青梅でデザイナーとして働く日々

    齋藤さんの一日は決まったルーティンで始まる。平日週5日、午前10時から夜遅くまで仕事に集中し、特に午前中は掃除など決まった動作をこなすことで心を整えている。「テンションに左右されず、淡々とその日やるべきことを確実に終えたい」と語る。

    独立当初は都心の案件が主だったが、徐々に青梅の案件が増え、現在では料亭やレストラン、企業、個人店のデザインなど多岐にわたるプロジェクトを手掛けている。特に「青梅の案件が増えたのは、地域密着型のイベントを主催するようになったから。クラフトマーケットや絵本作家の原画展などを通じて交流し、声がかかるようになりました」と話す。これらのイベントは、独立当初に築いた人脈から始まった。
    「自然豊かな環境にアーティストが集まり、創造的な活動をしている人同士のつながりが生まれやすい。また、青梅の人々の人懐っこさや、いい意味でのおせっかいな気質が、自分の活動を広げてくれました」と齋藤さんは語る。

    また、青梅での仕事の特徴は、クライアントとの距離が近いことだ。都心では広告代理店が仲介することが多かったが、青梅では直接クライアントと対話し、課題をヒアリングしながらデザインを進める。そのため、意思疎通がスムーズで、修正要望も的確に把握できるという。
    齋藤さんはデザインにおいて、自身のエゴを排除するスタイルを貫いている。「自分のやりたいことだけなら、それは趣味。依頼された課題にどのようにデザインで答えるかを重視しています。」青梅でのデザイン活動は、この思いをさらに強めているようだ。

    自然とともに育む、仕事と家族の新しいカタチ

    青梅市への移住は、齋藤さんの仕事と生活にどんな影響を与えたのだろうか。「仕事のストレスが減りました。山を眺めるだけで気持ちがすっきりし、ストレスがあっても上手に処理できるようになりました。何より、山の景色が四季を通じて変化することを初めて知り、それを楽しむことが日常の癒しとなっています。自然を目で見て、触れ、香りで感じる体験は、青梅に住むことで初めて味わえた貴重な経験です。」

    子育てにも青梅での生活は大きな恩恵をもたらしている。8歳になる息子さんは青梅で生まれ育ち、自然の中でのびのびと成長している。都心に出かけると、時折周囲の視線が気になることもあるが、青梅では地域の人々が温かく見守り、子どもにやさしく接してくれるという。「息子は虫が大好きで、原っぱでカマキリを捕まえたり、山や川で遊ぶことに夢中です。カブトムシを間近で観察する機会も多く、自然との距離が非常に近い環境で育ち、ゲームよりも外遊びを好む子どもに成長しました。」
    青梅に暮らしていなければ、こうした豊かな自然体験を息子さんと共有することも、自身の生活のなかで享受することも難しかっただろうと齋藤さんは語る。青梅という土地が、仕事にも生活にも新たな視点と可能性をもたらしてくれたと感じている。

    都会を離れ、笑顔で暮らす未来へ

    「青梅は、都会の生活に疲れた人には特におすすめです。都会の便利さを求める人には合わないかもしれませんが、自然豊かな場所を拠点にしながら、都心へのアクセスも確保したいという人には理想的だと思います」と齋藤さんは話してくれた。青梅駅は始発駅なので、通勤時に快適に座れることが多く、都心へのアクセスも便利。齋藤さん自身、通勤時に本を読むことが好きで、かつては1日1冊を読んでいたほどだという。通勤など移動時間を楽しめる人にとって、さらによい環境だと語る。
    今では、青梅が故郷のように感じられるという齋藤さん。知り合いも増え、仕事も生活もより充実してきたと実感している。将来的には、笑顔で過ごすおじいちゃんになりたいという。移住から10数年が経ち、その思いは一層強くなった。これからも、地域の人々と共に暮らし、デザインを通じて貢献していきたいと語ってくれた。

     

    Profile

    齋藤 貴志 | デザイナー

    東京都出身の50代。2011年に青梅市に移住し、妻と子どもと3人暮らし。旧青梅街道でデザイン会社「EMDesigns」を営む傍ら、オリジナルTシャツブランド「21g」を運営。お気に入りの場所は、アンティークショップ「MANSIKKA antiques(マンシッカ)」。まるでギャラリーのような店内には欧州や日本のアイテムが並び、頻繁に出向いては古きよき美品との一期一会を楽しんでいる。

     

    取材:2024年11月

     

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    音楽家
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