テレビ東京アナウンサー狩野 恵里

「モヤモヤさまぁ〜ず2」「家、ついて行ってイイですか?」などの人気番組で親しまれ、現在は報道・情報番組でも活躍するテレビ東京アナウンサー・狩野恵里(かのう えり)さん。幼少期から高校・大学時代まで、人生の多感な時期を青梅市で過ごしました。
自然の中で遊んだ子ども時代、海外生活を経て気づいた日本語の奥深さ、そしてアナウンサーという仕事へ。いまは双子の母として子育てにも向き合う狩野さんが語る、青梅という街の魅力とは。

河辺下グラウンドでは、野球、テニス、サッカーのほか、多摩川では釣りなど市民の憩いの場になっている
父が転勤族だったので、実はいろんな場所に住んでいるんです。幼稚園の年中・年長の2年間を青梅で過ごして、そのあと東京都小平市や群馬県などを経て、小学4年生から6年生までまた青梅に住みました。そのあとアメリカに行って、高校2年生で帰国して、大学4年生まで家族と青梅に住んでいました。
通算すると10年くらいなんですけど、でも出身地はどこですかって聞かれたら、私は「青梅です」って答えます。すると必ず聞かれるんですよ。「青梅ってどこですか?」って(笑)。それが結構、会話のフックになるんです。「東京なんですけど、西のほうです」って説明すると「ああ、聞いたことあります!」って。青梅って、ちょっと面白いポジションの街だなって思います。
河辺下のグラウンドですね。多摩川沿いにある、すごく広い原っぱで。野球もサッカーもできるし、ただ走り回るだけでも楽しい場所でした。補助輪を外して初めて自転車に乗ったのもそこですし、学校のマラソン大会も河辺下でした。家族でバーベキューをしたのもそこですね。あと、水切り石。弟と「何回跳ねた!」って競争していました。……今思うと、ああいう場所が家の近くにあるって、すごく豊かな環境だったなと思います。
両親が島根県出身なんです。山や川のある自然の中で育った人たちで。職場は丸の内でしたが、東京で子育てするなら、できるだけ自然のある場所がいいということで青梅を選んだそうです。子どもの頃は、青梅を自然豊かな場所だ、なんて思ったことがなくて。でも、社会人になって都心に住むようになって思いました。「こんなに人って密集して住めるんだ……」って(笑)。青梅って、人の密度も街の密度も、本当にちょうどいいんですよね。

すごくフレンドリーだと思います。子どもを連れて歩いていると、知らない人に声をかけられることが多いんです。「双子ちゃんだ〜」とか「かわいいわね〜」とか。そこから普通に会話が始まるんです。都心だと、なかなかないですよね。知らない人同士のスモールトークって。でも青梅だと自然に生まれるんです。ああいう距離感って、すごくいいなと思います。
小学校6年生から高校2年生まで、5年間アメリカに住んでいました。それで久しぶりに青梅に戻ったとき、面白いことがあったんです。5年間海外にいたはずなのに、ご近所さんが普通に母に「狩野さん、おかえりなさい!ちなみに、コープいつ入る?」って(笑)。まるで昨日までいたみたいな感じで。時間も距離も飛び越えて、普通に受け入れられているのが面白くて。青梅って、そういうところあるんですよね。
塩船観音の近くにあったお団子屋さんで、高校2年から大学4年くらいまで、6年くらいアルバイトしていました。つつじ祭りの時期はすごく忙しくて。お団子を売っていました。あのお店、今は市外に移転してしまったんですよね。もしまだ青梅に残っていたら、たぶん青梅の中で一番思い出の場所だったと思います。それくらい青春の場所です。

アルバイトをされていた塩船観音寺(提供:青梅市観光協会)

そうなんです。中央線で武蔵境駅まで通っていました。終電をよく使っていたので、今でも覚えています。たしか…1時9分。意外と遅くまで遊べるし、どんどん人が降りていくので青梅線って座れるんですよね(笑)。1時間くらい電車に乗るんですけど、その時間に本を読んだり、考えごとをしたり。あの時間は結構好きでした。
最初から目指していたわけではないんです。アメリカに住んでいたとき、よく聞かれたんですよ。「これ、日本語で何て言うの?」とか「日本語ではどういう意味なの?」とか。そのときに、自分が日本語をちゃんと説明できないことに気づいて。なんとなく話せるけど、意味を説明できない。それで日本語って面白いな、奥深いなって思うようになって、大学では日本語学を専攻しました。
でも私は言葉だけじゃなくて、身振り手振りとか、自分の身体も使って表現したいタイプで。「テレビって面白そうかも」。本当にそれくらいの感じで受けてみたら、受かってしまったんです。あとから“チャレンジ枠採用”と聞いたんですけど。(笑)親にも最後まで言っていなくて「実はテレビ東京に受かりました」って言ったら、「え、受けてたの?」って(笑)。
新人の頃は本当に大変でした。準備をほとんどしないままこの世界に入ってしまったので、「そんなことも知らないのか」「そんなこともできないのか」、……その連続でした。この仕事でよかったのかなって思うこともありました。でも、青梅に帰ると、家族がいて、自然があって。なんか、知らないうちによりどころになっていたんですよね。
自分ではそんなに帰っているつもりはなかったんですけど(笑)。先日も、かつて番組をご一緒していた方に「狩野ってよく実家帰ってたよね」って言われて。そうなんだ、って。でも今思うと、あの時間があったから続けられたのかもしれません。四ツ谷から青梅まで1時間半くらい。その移動時間も含めて、気持ちをリセットできる時間だったんだと思います。
好きな言葉があるんです。「奇跡は小さな努力の積み重ね」。野球選手の方の言葉なんですけど、見たときにすごくいいなと思って。奇跡って突然起きるもののように思えるけれど、実際は違う気がしていて。たぶん一つ一つの積み重ねなんですよね。発声練習とか、日々の準備とか。「これが大事かな」と思うことを続けていく。そうすると、あとから振り返ったときに「ああ、これがつながっていたんだな」って思える気がします。
あと、ちょっと変な話なんですけど(笑)。家族4人のうち3人が風邪をひいても、「私は絶対にかからない!」って思っているんです。そうすると、本当にかからないんですよ。なんかこう……、自分を信じることって意外と大事なんだなって思っていて。ちょっとスピリチュアルっぽい話になっちゃいましたね(笑)。でも、奇跡を待つというよりは、小さなことを積み重ねてきた「自分を信じる」。そうやって仕事も続けてきた気がします。

そうなんです。子どもが生まれてからは、本当に選択の連続ですね。この選択でいいのかなって思いながら、でもやるしかない。今、子どもたちは8歳になりました。
まず、公園が多いことがいいですね。しかも一つ一つが広い。都内だとボール遊び禁止だったり、いろいろ制限がありますよね。でも青梅は原っぱがあって、木があって、泥があって。遊具やおもちゃがなくても、遊びが自然に生まれる環境がある。それは子どもにとって、すごく大きなことだと思います。
今でも子どもを連れて青梅に帰ることがあります。電車で帰省するときは、ちょっと奮発してグリーン車に乗るんですよ。そうすると子どもたちがすごく喜ぶんです。「旅行みたい!」って。青梅に帰るだけなんですけど(笑)。
夏には納涼花火大会にも連れて行きました。浴衣を着せて、家族みんなで出かけて。都心だとどうしても「危ないからダメ」とか「走っちゃダメ」とかいろいろ言わなきゃいけないことが多いんですけど、青梅だと子どもたちもすごく自由で。それがすごくうれしそうで。
帰省しているときに、子どもたちに言われたことがあるんです。「ママ、今日は優しいね」って。「いつも優しいよ!」って返したんですけど(笑)。たぶん、青梅に帰ると私自身も心に余裕ができるんでしょうね。
電車のアクセスは意外といいと思います。ただ、早朝や深夜不規則勤務だと通勤は少し難しいかもしれません。でも規則的な仕事なら、通勤も十分できる距離だと思います。
青梅は、子どもが子どもらしくいられる街です。そして大人も、少し余裕を持って暮らせる場所なんじゃないかなと思います。

狩野さんにとって、学生時代に暮らした青梅は、離れてみて初めて、その尊さに気づく場所でした。学び、働き、そして母となったいまも、ふと立ち返ると心を癒やし、そっと背中を押してくれる。ふるさと青梅は、これからも狩野さんの歩みに寄り添い続けていくのでしょう。
狩野恵里 | テレビ東京アナウンサー
1986年生まれ、東京都青梅市出身。国際基督教大学(ICU)教養学部卒業後、2009年にテレビ東京へ入社。小学校6年生から高校2年生までの5年間をアメリカで過ごし、その経験から言葉への関心を深め、大学では日本語学を専攻。入社後は『モヤモヤさまぁ〜ず2』の2代目アシスタントをはじめ、『昼サテ』(木曜)『よじごじDays』(水・金曜)など報道・バラエティ番組で幅広く活躍。現在は『家、ついて行ってイイですか?』などを担当。2016年にレーシングドライバー山本尚貴氏と結婚し、双子の母として子育てと仕事に奮闘中。
※取材:2026年2月