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私を救ってくれた大切な場所。
高橋尚子さんが語る
青梅マラソンとスポーツのある暮らし

スポーツキャスター/マラソン解説者/元マラソン選手高橋 尚子

  • 2000年、シドニーオリンピック女子マラソンで金メダルを獲得し、現在もスポーツの魅力を伝え続ける高橋尚子さん。2001年に青梅マラソンへ初出場して以来、ゲストランナーとしても長く大会に関わってきました。
    その記憶は、青梅を高橋さんにとって特別な場所にしました。
    青梅マラソンを通じて見えてきた街の魅力とは。スポーツを愛する人の視点から、自然と人の温かさが息づく青梅について伺いました。

     

    ◆青梅マラソンとは
    「マラソンの普及と強化」を目的として、東京オリンピック銅メダリストの”円谷幸吉選手と走ろう”を合言葉に誰でも参加できる大衆マラソンとして、1967年よりスタートした伝統ある市民マラソン。
    早春の青梅路を思いっきり楽しめる30km・10km(ともに日本陸上競技連盟公認コース)の2部構成。一般市民が参加可能なうえ、オリンピックや箱根駅伝等で活躍するランナーも出場することから、全国から参加者が集まる人気のレース。

     

    私を救ってくれた、2001年の青梅マラソン

    ⓒ報知新聞社

    ――初めて青梅を訪れたのは、2001年の青梅マラソンだったそうですね。

    はい。青梅マラソンは、それ以前から長い歴史があり、トップ選手が数多く参加するレベルの高い大会だと聞いていました。そんな伝統ある大会に出場させていただけること、自分もその歴史のなかに加われることをうれしく思っていました。

    シドニーオリンピックが終わった直後は、日本各地を回り、応援してくださった方々にお礼をするような時期でもありました。青梅でも、みなさんに「応援してくれてありがとう」と伝えられたら、という気持ちだったんです。

    ――当時は、どのような状況で大会を迎えたのでしょうか。

    オリンピック後、次の目標に向けて体を戻していた時期に、体型の変化をめぐって厳しく言われることが多くなりました。家の外に記者の方が待っていることもあり、外へ出ることや、走ることさえ怖くなっていた時期でした。

    青梅マラソンへの参加はすでに決まっていましたし、体は元気でしたから、「出ない」という選択は考えていませんでした。そこで小出義雄監督の助言もあり、急きょ合宿に入り、大会に向けて練習を再開しました。不安や怖さを抱えながら青梅に来たことを覚えています。

    でも、青梅のみなさんは本当に温かかった。歩くのも大変なくらいたくさんの方が集まり、街に出て応援してくださり、30kmの日本最高記録を出すことができました。

    ――その結果によって、周囲の反応も変わったのでしょうか。

    スポーツ選手は、結果を出すと、それまでの見方が変わることがあります。「ちゃんと走れているのだから、何も言うことはないじゃないか」と、空気が一気に変わりました。青梅で結果を出せたことで、過熱していた報道が収まったんです。

    だから、私は青梅に救われたと思っています。青梅は、本当に温かくて、私の気持ちを救ってくれた場所。私にとって、忘れることのできない大切な場所です。

     

    簡単には走らせてくれないから、強くなれる

    優勝した2001年の青梅マラソン公式ブック

    ――四半世紀にわたり青梅マラソンに関わってきた立場から見て、コースにはどのような特徴がありますか。

    簡単には30kmを走らせてくれないコースです。本当にきついんですよ。往路は上り、復路は下りという大きな流れはありますが、ずっと上って、折り返したらずっと下るという単純なコースではありません。「まだ上るの?」「やっと折り返したのに、また上りがあるの?」と思うくらい、アップダウンが続きます。

    何度も心が折れそうになりますが、沿道の応援や川沿いの緑、自然の美しさから元気をもらえるコースでもあります。走る前と走った後では、自分が確実に強くなっている。精神的にも肉体的にも、ワンランクアップするコースが青梅マラソンだと思います。

    ――これからフルマラソンを目指すランナーにとっても、自信につながる大会でしょうか。

    フルマラソンを走ったことがなくて、「自分にできるかな」と不安に思っている人は、練習を積んだうえで、一度青梅の30kmを走ってみるといいと思います。何度も心が折れそうになりながら、自分を鼓舞してゴールまでたどり着く。それができれば、本当に自信になります。

    日常生活で大変なことがあったときにも、「青梅のあの坂を乗り越えられたのだから、これも乗り越えられる」と思える。日々の生活にも生きる強さを学べるコースだと思います。

    ――アップダウンのある青梅マラソンを攻略するコツはありますか。

    上り下りのなかで、オンとオフをつくることですね。下りでも一生懸命走り続けると、ずっと体がオンの状態になり、携帯電話の充電が減っていくように体力を消耗してしまいます。だから、下りを「充電する時間」と考えるんです。

    上りでは力を使い、下りでは少し体を休ませる。下りをうまく充電に使えば、アップダウンのあるコースでも走りやすくなります。

    ――全国の市民マラソンと比べて、参加者のレベルをどう感じられますか。

    私は市民ランナーのレベルが準エリート大会のように高いと感じています。もちろん初心者が出てはいけないという意味ではありません。ただ、「青梅を走ったんだ」「青梅を走れるなら、どこでも走れるね」と一目置かれる大会だと思います。コース、30kmという距離、参加する選手の層、そのすべてを含めてレベルが高いですね。

    青梅マラソンで結果を出した選手が、その後オリンピックや世界の舞台へ羽ばたいていった歴史もあります。ここで問われるのは、単なる速さではなく、厳しい状況でも力を発揮できる「強さ」なのだと思います。

    ――折り返しコースならではの楽しみ方もありますか。

    仲間と一緒に出場すれば、行きと帰りですれ違うときに、お互いを探して励まし合うことができます。トップ選手とも必ずすれ違うので、世界を目指すような選手の速さを間近で体感できます。

     

    最後のランナーまで応援する、街の温かさ

    青梅マラソンのランナーとハイタッチをする高橋さん ⓒ報知新聞社

    ――2001年に初めて走った際、青梅の街で特に印象に残った風景はありますか。

    電信柱に巻かれている布団ですね。コースの道幅があまり広くなく、急なカーブもあります。ランナーがぶつかってけがをしないように、電信柱やガードレールに布団を巻いてくださっているんです。

    マラソン大会に向けてランナーのことを思いながら準備してくれている。その温かさと、布団が巻かれた街の景色が、今も強く記憶に残っています。

    ――コース上には、ランナーの間で知られた応援もあるそうですね。

    商店街では、「帰ってこいよ」が流れていたんです。行きにその曲を聴くと、「もう一度ここへ、笑顔で早く帰ってきたい」と思います。折り返しコースの青梅マラソンにぴったりですよね。

    21kmを過ぎた辺りには大きな上り坂があって、そこでは映画『ロッキー』のテーマ曲が流れていました。「ここを戦わなければ」と気持ちを奮い立たせてくれるんです。

    ほかにも太鼓を使った応援や子どもたちの声もあります。街全体で、みんなで大会を盛り上げようという団結力を感じますね。

    ――東京の大規模な都市型マラソンとは、また違う雰囲気でしょうか。

    東京マラソンのような華やかさとはまた違って、青梅はもっとアットホームで、人と人との距離が近い感じがします。特にすごいと思うのは、最後のランナーが帰ってくるまで、応援の熱が冷めないこと。

    ゴール前の200~300mには、最後まで本当にたくさんの人が残って、ランナーを鼓舞してくれます。走る人だけでなく、応援する人たちも青梅マラソンを楽しみにしているのでしょうね。マラソン大会というより、街のお祭りに近い感覚もあると思います。

    ――現在はゲストとして、どのように大会へ関わっているのですか。

    ランナーのみなさんにとって「一番の応援団」になることを目標に参加しています。ゲストランナーがどこかにいたらしい、遠くから見た、というだけではなく、できるだけ多くの方に会って、触れ合いたい。ハイタッチをしたり、少し言葉を交わしたりして、「会えた」と思ってもらえたらうれしいんです。

    青梅マラソンは折り返しコースなので、ランナーのみなさんと会いやすいんですね。スタートした後、私も走り出し、途中で早めに折り返して、帰ってくるランナーをハイタッチで応援します。その後は一緒にゴール方向へ戻り、できるだけ多くのランナーを迎えられるように動いています。

    ――そこまで多くのランナーを応援したいと思うのは、なぜでしょう。

    現役時代、私自身が応援に何度も助けてもらったからです。苦しいときに、「あの角まで行ったら少しペースを落とそう」と思っていても、その角で「Qちゃん、頑張れ」と声をかけられる。そうすると、応援してくれた人の前でペースを落とせないし、「もう少し頑張ってみよう」と思えます。

    その応援が次々とつながって、もう少し、もう少しと背中を押してもらい、ゴールまでたどり着けたことが何度もありました。私はマラソンで自分の世界を広げてもらい、人とのつながりという大きな財産をもらいました。

    だから今度は、自分がマラソンにどう恩返しできるか。それが、今の活動の根本にあります。青梅マラソンでランナーのみなさんの一番の応援団になることも、その恩返しの一つです。

    ――青梅へ来ると、立ち寄る場所はありますか。

    河辺のレストラン「チャコグリル」さんのハンバーグを食べます。本当においしいですね。私にとっては青梅の思い出の味で、あそこへ行くと「青梅に来たな」と感じます。大会の時期には梅の花も咲き始めるので、春を少し先取りできる楽しさもありますね。

    チャコグリルのハンバーグ。高橋さんはソース無しでお肉の味を楽しむそう

     

    家を一歩出たら、スポーツがある街

    左:青梅駅周辺  右:釜の淵公園(多摩川)

    ――スポーツを愛する人の目から見て、青梅は暮らす場所としてどのように映りますか。

    日頃の生活にスポーツを取り入れたい人には、とても合っている場所だと思います。青梅には川も山もあり、自然のなかを走れる場所がたくさんあります。家から一歩出たらスポーツが身近に感じられる。そういう環境があるのは、とても大きいですね。

    体を動かすことだけでなく、食や余暇の過ごし方を含めて、暮らしを豊かにできる場所なのではないでしょうか。青梅は都心へ出やすい便利さがありながら、自然にもすぐ触れられる。その両方があるところも魅力だと思います。

    ――ランナーやスポーツが好きな人は、街のどのような点に注目して住む場所を選ぶのでしょうか。

    まず、信号に何度も止められず、長く走り続けられる場所があることです。1時間、2時間をストレスなく走れる道が近くにあれば嬉しいです。大きな公園や川沿いもいいですね。川沿いは道が長く続いていることが多いので、ランナーが住む場所を選ぶときによく見るポイントです。

    そして、できれば少し起伏があり、アスファルトやコンクリートだけでなく、芝生や土、山道などの不整地があること。私は、起伏と不整地を「2倍練習」と呼んでいます。平坦な舗装路とは違う筋肉を使い、脚に力をつけられる感覚があるからです。

    私自身も、どこに拠点をつくるときも「走れる場所があるか」を大切にしています。青梅には川沿いや起伏のある道、自然のなかを走れる場所がありますから、スポーツが好きな人にとっては、とてもいい環境だと思います。

    ――運動を生活の一部にするには、本人の意思だけでなく環境も重要でしょうか。

    とても重要だと思います。運動が大切だとわかっていても、習慣にするのは簡単ではありません。でも、家の近くに走れる道や歩ける場所があれば、外へ出るハードルは下がります。

    都会へ出ることは比較的簡単ですが、都会に住みながら毎日のように自然へ出かけるのは、なかなか難しいですよね。だから自然の近くに住むことで、自分の周りに選択肢をたくさん持つことができる。その日に合わせて、走る、歩く、山へ行く、外で過ごす。そうした選択ができることは、暮らしの豊かさにつながると思います。

    ――自然のなかで体を動かすことには、トレーニング以外のよさもありますか。

    精神的なリフレッシュにつながります。外を走れば、春の風や鳥の声、夏のセミ、秋の虫の声を感じられる。草木や畑の作物が少しずつ育ち、季節とともに景色が変わっていく様子も目に入ります。視覚だけでなく、匂いや音を通じて四季を感じることができるんです。

    自然の多い場所を走ると、空気をいっぱい吸って、体中の空気を入れ替えたくなります。自分を再生させ、リセットするような感覚ですね。青梅のように自然が身近にある場所は、体を動かすだけでなく、心を整える場所にもなるのではないでしょうか。

    ――最後に、青梅に興味を持つ方へメッセージをお願いします。

    青梅マラソンは、走る人だけの大会ではありません。沿道で応援する、ボランティアとして支える、街ぐるみの行事として楽しむなど、いろいろな関わり方があります。

    まずは一度、青梅へ来て、この街の人たちの温かさや、みんなで一つのものをつくり上げる一体感を感じてもらえたらうれしいです。

    自然のなかで体を動かし、人と触れ合い、自分らしい時間を過ごす。24時間、365日をどのように豊かにしたいのかを考えたとき、青梅はたくさんの選択肢を与えてくれる場所だと思います。

    青梅の人々の声援に救われてから、四半世紀。今、高橋尚子さんは青梅マラソンの「一番の応援団」として、走る人たちに力を送り続けています。

     

    Profile

    高橋尚子 | スポーツキャスター/マラソン解説者/元マラソン選手

    1972年生まれ、岐阜県出身。2000年シドニーオリンピック女子マラソンで金メダルを獲得し、同年、国民栄誉賞を受賞。2001年ベルリンマラソンでは当時の世界最高記録を樹立。2008年に現役を引退。現在はマラソン解説やスポーツキャスターのほか、スポーツ振興に関わる活動にも携わる。

     

    ※取材:2026年7月