インタビュー
INTERVIEW 15
青梅の自然と人のつながりで夢を叶えた
子育てNPO代表理事
小川 佳那惠
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都会育ちの夫婦が選んだ、自然豊かな青梅での新生活
京都駅周辺で生まれ育った妻と、横浜で生まれ育った夫。ふたりともにぎやかな街で育ったが、探検部と山岳部の夫婦ゆえに、将来的には自然豊かな場所での生活を望んでいた。そんななか、夫の転職先がJR青梅線の小作駅周辺に決まり、同時に妻が双子を妊娠。初めての子育てが双子である以上、夫の協力は不可欠と考えた小川さん。2015年、念願だった自然豊かな青梅市での暮らしが始まった。
青梅らしい家探し
東青梅のアパート住まいを数年経てたどり着いたのは、庭に井戸があり、今では烏骨鶏と子どもたちが走り回る古民家。「夫が山岳部出身で、私が探検部出身なので、ふたりとも山が大好き。横浜に住んでいた頃、よく御岳山にも遊びに来ていました」と語るとおり、川より山派のふたりは、山に近い場所に家を探していた。1年半ほど、会う人会う人に「山に近い一軒家に住みたいんだ」と伝え続けた結果、東青梅時代に子どもが通っていた保育園の園長さんに、現在の家を紹介してもらうことに。「家は老朽化していましたが、道路から奥まった場所で広い庭があり、子どもたちが安全に遊べる環境が整っていました。家を見に行った日に、家主さんにも会うことができ、これはご縁と引っ越しを決めました」 仲介業者を通さずに、人の善意が繋がってイメージ通りの物件にたどり着いた。これは“青梅らしい家探し”と言えるのかもしれない。
憧れの古民家暮らしを手に入れたが、屋根のふき替えや上下水道の整備、耐震補強工事など、最低限の整備に費用と時間がかかった。暮らし始めてみると、アライグマやクマネズミなどの野生動物が家に入り込んでくることもあり、そのたびに驚かされた。しかし、それも自然の近くに暮らしている証であり、よい思い出になっている。移住者が気になるご近所さんたちの様子を伺うと、「子育て世代のご家族とは顔と名前が一致する間柄なので、安心して暮らしています。また、お年寄りが多く住むエリアであるため、自分たちがその方々を見守るつもりで暮らしています」
子育て世代には最高の場所
「移住先でいきなり始まった双子育児。利用できるものはすべて活用しました」と笑う小川さん。青梅にはよく聞く子育てサービスは一通り揃っており、子育てひろばや室内の遊び場、図書館、プールなどの施設も充実。やはりここは東京だ!と実感するという。「サービスや施設の充実だけでなく、青梅の人々は心にゆとりがあって、子連れ世代に優しいんです。双子を抱えて歩いていると、声をかけてくれる人がいたり、近所の方々から野菜をもらったりすることもたくさんありました」そんなやさしさに対して、自分たちも何か恩返しをしたいと考えるようになった。
移住者だからこそできる人付き合いがある、という小川さん。例えば、野菜をもらったら烏骨鶏が産んだ卵で返すといった小さなやりとりや、実家への帰省から戻った際には子どもたちが近所におみやげを配って歩く。「おみやげといっても本当にささやかなものです。気持ちですから。近所で誰かを見かけたら積極的に話しかけることも大切にしています。話しかけられて嫌がる人はいませんし、むしろみんな誰かとおしゃべりしたいはず。たわいもない会話でも、頻繁に顔を合わせて話すことで、信頼や安心が築かれていく。そう思っています」 また、お年寄りの多いこのエリアでは、自治会や消防団に積極的に参加し、この地域に貢献することが重要だと教えてくれた。こうした日常の中でのささやかなやりとりが、人々とのつながりを深め、安心して子育てができる環境を作り上げている。
縁もゆかりもない土地でNPO法人を立ち上げる
現在、3️児のママとなった小川さんは、かつて大手企業で会社員として働いていた。働きながら不妊治療を続け、自分が本当にやりたいことは何かを問い続けていたという。「そんなときに出会ったのが、横浜にある“森のようちえん”だったんです。自然のなかで子どもたちがのびのびと遊んでいて、保育士さんもみな穏やかで。こんな幼稚園があるんだ!こんな働き方ができるんだ!と目からウロコでした」 この経験をきっかけに、これこそが自分のやりたいことだと確信し、保育士へと転職。しかし、ほどなくして待望の双子を授かり、退職を余儀なくされた。
妊娠と移住を機に、念願だった子育てNPO「かぷかぷ山のようちえん」を立ち上げることを決意。「青梅市には豊かな自然が広がっているのに、0歳児から参加できる外遊び型の子育てひろばがほとんどなくて、この分野はまさにブルーオーシャンだったんです」 縁もゆかりもない土地での新たな挑戦において心強い味方となったのが、子育てひろばで出会ったママ友たち。同じ月齢の子どもを抱えたママ友たちに自分の夢を話すと、「一緒にやろう!」と快く賛同してくれた。
最初はママ友たちで集まるママサークルのような活動だったが、徐々に初対面の家族も参加するようになり、いつしか市外からの参加者も増えていった。「このNPOを通じて、学校教育では手が届かない教育や体験の機会を提供していきたいと考えています」と語る小川さん。青梅市内の子育てNPOと協力して、自然と関われる場も含め、より子どもたちにとってよい環境を作っていく予定だ。
10年暮らして見えた「青梅のここが好き」
移住先で多くの信頼を築き、起業までした小川さん。なりたい自分に近づけたのは青梅だったからと教えてくれた。そんな小川さんに、青梅の好きなところを聞いてみた。「友達になるハードルが低いところが好きです(笑)。話しかけて自己開示し、定期的に自己表現をすれば、友だちができて相談に乗ってくれ、気づけば自己実現ができている。それが青梅のいいところ」 市外から参加してくれるNPOのボランティアさんのなかにも、小川さんと同様に、青梅の自然と人のよさに惹かれて移り住んできた人たちがいる。生きる道に迷っていた人や、都会での生きづらさを感じていた人も少なくない。その多くが“すごく生きやすくなった!”と話してくれるのだとか。小川さんも、もちろんそのひとり。「自然が近くにあって、人があたたかい。それだけで、本当に息がしやすくなったんです」と笑う。
「青梅では、何かをやりたいと思ったらすぐに実行に移せます。夕食を食べながらホタルが見たいねと言えば、家の裏に流れる小川でホタルを追いかけ、今夜は流星群が見られると聞けば、近所の丘に登って空を見上げることができるんです」 NPOの立ち上げも同様で、“こんなことがやりたい!”と声を上げれば、協力者が集まり、実現までの道のりが短い。そして、新しいことを始める人に対して後ろ指をさすような人がいない。「この絶対的な安心感は、都会と田舎のハイブリッドな感覚を持つ青梅だからこそ」と分析する。
また山好きの小川さんらしい目線として、「青梅は自然と街のバランスが絶妙で、自然豊かな場所で暮らしてみたいと考えている人には、最適な最初の一歩になると思います。私の友人でも自然の中で暮らすのが合わなかった人は都会へ戻り、さらに自然の中で暮らしたくなった人は、もっと奥へと移り住んでいきました」 自分が思う“自然”とはどの程度のものかが明確になるはずだと教えてくれた。
「10年前の自分と同じ思いを抱える人たちの背中を押してあげたい」 青梅での10年間は、“生きやすさ”と“生きる強さ”をもたらしてくれた。小川さんが青梅で築いた仲間たちと紡ぐ、この先の10年に期待したい。
Profile
小川 佳那惠 | NPO法人 代表理事
京都府出身の40代。大手食品メーカー勤務から保育士に転身。妊娠を機に退職し、2015年から青梅市在住。2017年には、念願のNPO法人「かぷかぷ山のようちえん」を立ち上げ、代表理事に就任。現在は、夫と子ども3人と烏骨鶏2羽と古民家暮らし。お気に入りの場所は、近所の「岩蔵温泉儘多屋」や長年通っている河辺駅前の「梅の湯」、そして、子どもの送り迎えで通る「藤の木農道」から見る富士山のある風景。
取材:2024年8月