INTERVIEW 10

青梅をこよなく愛す生粋のお祭り男
老舗「寿々喜家」4代目店主

枝久保 敦郎

  • 生まれも育ちも青梅。知らないことがまだまだある

    「20人くらいに挨拶しないと駅に辿り着けなかったからね。子どもの頃が懐かしいよ」と遠い目をして微笑む枝久保さんは、うなぎ・割烹『寿々喜家(すずきや)』の4代目店主。青梅駅から徒歩3分、仲通り商店街に暖簾を掲げて100余年。うなぎを焼く薫香とお客さんのにぎわいをたっぷり詰め込んだ明治中期の木造3階建ては、青梅市に現存する唯一の建物として青梅市と東京都の歴史的建造物に指定されている。

    店内に入ると目にとまるのが、手書きで表書きされた書類ファイル。表紙には『青梅の街のこと、青梅大祭のこと、山車のこと、うちのこと 覚書』と書かれている。うなぎが焼き上がるのを待つ間、パラパラとめくってみると学術論文のごとく、びっしりと文字が並んでいる。「親父がなくなったのを機に遺品整理をしていたら、古い写真がたくさん出てきて。若い頃のじいちゃんや昔の青梅大祭の写真を眺めていたら、いろいろ調べたくなっちゃって」

    入口に立つ惚れ惚れする姿の一本松といい、色気さえ感じる3階建ての木造建築といい、その老舗の佇まいがゆえにお客さんにやたらと青梅のことを聞かれるという枝久保さん。これを機に街のことと家のことをいっぺんに調べてみようと調べ出したら、知らないことがたくさん出てきて、これは覚えておかねばと思ったら、このファイルができていたと笑う。青梅大祭のはじまり、宿場町らしい手締めの仕方、芸者町の様子などを綴った手製のファイルは、何度も客の足を止め電車を逃してまでも青梅を知りたいと思わせる貴重な1冊になっている。

    青梅大祭は世界に誇れる山車祭り

    青梅を調べたいというモチベーションの燃料になったのが、枝久保さんが小さい頃から愛してやまない青梅大祭の歴史。1513年に住吉神社の拝殿改修完了を祝うため、氏子である5町が祭礼をしたのがはじまりといわれ、5町から9町、12町と山車の数を増やし、2023年には2日間で約25万人が青梅を訪れるまさに大祭になった。地元本町の囃子連として祭りを盛り上げてきた枝久保さんは、2015年から青梅大祭全体を仕切る実行委員を兼任。一歩引いて俯瞰で祭りを見てみたら、交通整理や人手不足など多くの問題が見えてきた。

    「小さい頃に悪さをすると、囃子の大人たちに“山車に乗せねーからな!”とよく言われたもの。この言葉の効力が今の若者にも通じるほど長年愛されている大事な祭り。これはずーっと残さなきゃいけない、残す方法を考えなきゃいけない」

    いち神社の祭りからはじまった青梅大祭は、氏子5町の熱が伝播し、この祭りがあるから青梅から出ていかない、この祭りがあるから毎年青梅に戻ってくる。そんな何十万人にもの関係人口を作っているのも事実。青梅の人口減少を今すぐ食い止めることは難しいが、外から祭り好きを呼んで参加してもらうことはできる。「青梅大祭は、囃子が主役になれる祭り。囃子は練習に参加する必要があるけど、だからこそ長い時間を共有して年齢を超えたつながりができたり、顔と名前が分かる人が町内に増えたり、横のつながりができる絶好の場。移住者さんたちで少しでも青梅大祭に興味がある人は、ぜひ参加してほしい」

    移住者と地元住民。ともに手をとって地元を守る

    「仕事の休憩時間にサクッと多摩川に行って川原で息抜きをしたり、サクッと青梅丘陵ハイキングコースを歩いて汗を流して戻って来られるなんて、いいでしょ?」と笑顔の枝久保さん。地元住民が知っているショートカットコースを使えばすぐに到着できるという多摩川は、昔も今も変わらぬ枝久保さんの遊び場だ。そんな地元の遊び場が広く世間に知られるようになり、年々多くの観光客とともにゴミ問題も連れてきた。

    そこでリバークリーン活動の発起人として立ち上がったのが、移住者である伊東さん夫婦。枝久保さんは、伊東さんたちの活動をFacebookで知ったという。「どうして地元じゃないのに、そこまでやってくれるんだろうと正直驚きました。それと同時に地元住民こそ参加せねば!子どもの頃に落として拾わなかったゴミを、いま拾わなくては!と思って参加してます」と微笑む。

    伊東さん夫婦と枝久保さんのようにリバークリーンは、移住先を愛する地元にしたい移住者たちと、故郷の自然を守りたい地元住民たちが交流する場にもなっている。「リバークリーンに参加している移住者さんたちは、移住先の風習や風土への理解とリスペクトがあってすばらしいと思います」と枝久保さん。サーフィンが趣味の枝久保さんは、サーフカルチャーで使われる“ローカリズム”という言葉で思いを語ってくれた。「サーファーが地元の海を自分たちの手で守るように、僕たちも自分たちの手で多摩川を守らなきゃいけない。移住者だろうが地元住民だろうが関係ない。多摩川を大切にしたいと思ってくれる人たちと一緒に守っていきたいと思います」

    変わる青梅と変わらない青梅に期待

    老舗を守りながら、祭りの準備に趣味のマラソンにサーフィン、川遊びにハイキングにと忙しくも充実した日々を送る枝久保さん。今の青梅にあったらいいなと思うことを尋ねると、「多摩川に有料キャンプ場があればゴミ問題を解決できるかな? アップダウンがある青梅だからこそランニングやサイクリングコース、ランニングステーションがあるといいよね。ついでに駅前に電車待ちできる店もほしいよね〜」と次から次にアイデアが出てくる。でも次世代に残したい青梅もある。「青梅大祭と川と山はずーっとこのままの姿で残してほしいね。こんなに田舎の要素が揃ってるちょうどいい場所、しかもそれが東京にあるなんて。こんな場所なかなかないと思ってるよ」と大きく笑った。創業100余年の老舗店主は、今日も青梅を盛り上げることに一生懸命だ。

    Profile

    枝久保 敦郎 | 寿々喜家 店主

    東京都青梅市出身、50代。うなぎ・割烹「寿々喜家」の4代目店主。創業100余年の老舗の長男として生まれ、迷いなく跡継ぎの道を進む。板前修業から戻ったのちは消防団や青年団、本町の囃子連などで町内の活動に尽力。現在は青梅大祭実行委員のひとりでもある。お気に入りスポットは、青梅丘陵ハイキングコース。なかでも急勾配を上った先にある矢倉台が好きで、風に吹かれながら食べるカップ麺は最高。

    取材:2024年1月

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